哲学者・数学者偉人列伝その7「釈迦」

釈迦(Buddha)は、インドの仏教の最初の指導者でありその祖である。王族の家系に生まれ、何不自由ない人生が保証されていたが、真理を目指して出家し、当時の高名な思想家・宗教指導者などに教えを乞うも、答えは見つからなかった。そこで、自分で道を見つけるために、苦行を積み、心身を痛めながら、これに耐え抜いた。説によると粥ひとつで長い時間を過ごし立てないほどにまで自分を追い込んだ。だが、釈迦はこういった修行・苦行によってなにも得られなかったらしい。

釈迦はある菩提樹の下で瞑想をしていたとき、ついに悟りを得た。これは仏教における法とも呼ばれ、これを説いて回ることには最初は拒否感があったものの、化身たちと話すことによって説得され、これを提唱して回ることにした。これが仏教の開祖の歴史の一番のはじまりだという。仏教における法、すなわちダルマというものは、なにもかもが流れ不変のものはないということ(諸行無常)、ひとつで成り立っている物事はなにもなく、すべては無に帰するということ(諸法無我)、また苦を善とも悪ともせず、諸行無常・諸法無我から真理を理解することが、涅槃(安らぎ)につながるとした(これを涅槃寂静という)。

釈迦の生や悟りについてはかなりの量の文献が複雑に成り立っており、釈迦自身が著書をまとめたものはなく、思想的に立場をあいまいにしたため、それは弟子により大きく解釈されてしまった。釈迦は多くの人に真理への道を進め普及に努めるさなか腹下しで死んだという(入滅)。そして教えの、本流というものが上座部仏教(小乗仏教という差別用語)になり、釈迦の最も近しい弟子たちが経典をまとめた。それを多くの人々が解釈し、日本にも伝わっている(大乗仏教)。

釈迦の死因はキノコを食べたためとも、豚肉を食べたためとも伝えられている。釈迦の死後、インドで広まっていた宗教としての仏教は壊滅状態に陥った。インドでは仏教は廃れていき、だんだんと、ヒンズー教とイスラム教に取って代わられた。しかしながら、近年にいたって、「インド憲法の父」ともいわれるビムラーオ・アンベードカル(不可触民というインドにおける最下層の被差別民)の想像を絶する苦節・努力によって仏教が再認識されると、差別を主としない仏教はインドで復活の兆しを見せている。ダライ・ラマなどによって宗教が平和的に再布教され始めたのである。アンベードカルの貢献もあり、インドでは被差別民族への差別は禁止され、法律で規制されるようになった。

このようにして、さまざまな主義主張を超えて、伝わった宗教である仏教は、今私たち日本人の心の中で、その形姿は違えどもいまだに生きているといっていいだろう。仏教がほかの宗教と違う点には、神の存在という命題がある。仏教学の世界的権威である中村が伝えるように、釈迦は神がいる、またはいないとは言わなかった。釈迦は神がいるともいないとも言わなかった。また、偶像崇拝についても否定もしなかったが、肯定もしなかった。よって釈迦の形は後世の人によって想像で描き起こされ、彫刻芸術として派生的に受け継がれているのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA