哲学者・数学者偉人列伝その9「シモーヌ・ヴェイユ」

数学において、天才の兄アンドレを持ち、その劣等感を抱え、この世に運命をもって生まれたフランスの思想家、シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil)。ガロアのように人々の記憶にその生前は評価されなかった数学者がいるように、思想の根源でも同じことがヴェイユにとっていえる。日本におけるヴェイユ研究の先駆け、冨原も同じことを言っており、思想家は矛盾なく生涯の関係性を辿ることは不可能との言葉を示唆している。ヴェイユもアガサ・クリスティーの小説に矛盾があるように、彼女の、ヴェイユ自身の思想にも残念ながら矛盾はある(アーレントでさえ同じだ)。

フランスにおける純粋なエリート(グランゼコール出身)ではなかったが、その高潔な人間性と独特な文章的な方法論が1947年ごろに、彼女の思想ノートが発見・再編されてから注目を浴びてきた。彼女はアンドレのように天才になれるかどうか苦しんだが、それは皮肉にも彼女の死後に実現することになる。―「ヴェイユに近づくものは遠ざけられ、遠ざかるものは近づけられる…」これがヴェイユの思想を表すすべての表現である。

ヴェイユは高校の教授になり、公平な思想のとれた教育を生徒に施した。それは哲学者アランの直弟子としての役割を如実に表す、教養的な見方であったらしい。工場労働を経験し、純粋に労働者の言葉に聞き入れ、あまたの思想を取り込もうとし、苦しみの本質がどこにあるのかを探ろうと真理への道を見出した。ある時給料を貧しい労働者に与えることが曲解され、当時のフランスの新聞にスキャンダルとしてとらえられたこともあったという。しかし「重力と恩寵」をはじめとするすべての著書になみなみならない洞察力を持つ彼女は決して私腹を肥やすことはしなかった。いつでも社会性における思想のありかを辿ろうとして自分自身を追い詰め死ぬまで苦しんだ。

ヴェイユは言っている。「兄のように立派な学者になれるか幼少期から苦しんできた」「一つの光明はあり、それはなんといっても信じ続け、努力を怠りず、目標を懸命にたどる行為」というものだった。その言葉通り、彼女は死後、人類史に残る多大な思想家としての役割を評価されることとなる。死の間際、病院ではまったく食事をとらず、潔白に生きようとし、彗星のように駆け抜けた30余年の生涯であった。そう、彼女は食事をとらず限界まで自分を追い込むことで栄養失調による死という結果を求めた。だがそれが、ヴェイユの一生であり、輝きであった。人類史に光を差し出した、フランスにおける輝かしい業績を上げた、この時代では、数少ない女性の人物である。

marikoi

ここの主筆・共同管理人。ぶっちゃけ狂人。

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