マジで恋する書籍レビュー:「国家の品格」藤原

「流行っていない書籍を売れ筋だけで評価する人がいる」という本質を突いた典型的な保守の書籍が、この藤原による「国家の品格」である。これ以降過渡的なブームとして女性の品格とかいろいろ品格本は出されたが、どれも保守的で典型的な伝統論の例にすぎない。私の先生もまた、この本が素晴らしいとか言っていたが、はっきりいって保守の典型ぐらいにしかならない本だ。帯には画期的日本論とあるが、これのどこが画期的なのか?

まず、ユーモアとウィットがあるのは良しとしよう。だがそれだけで、中身が感じられない。エッセイとしては素晴らしくても学術的には0点…。評論家の城や池田はこれをもってして、(とくに城は)「痴呆化する保守」とまでいっていたり典型的な保守文章のつじつまあわせといっているが、その通りだ。さすがに城の言いかたはすさまじく差別的で言い過ぎだとは思うけれども、厳しい評論筋の意見としてはまったくそのとおり。

例えば、なぜインビジブルハンドが「ない」のだろうか?本書で藤原は「神の見えざる手」はないと明記しているが、この説明がない。彼は読売新聞の誌上でも同じことを言っていて、「大きな政府」こそ素晴らしいといっていたり、税制に対して自己論を述べていたりしていたが、その間間に挟まれる説明文がなきに等しい。それはエッセイとしては評価に値するが、アカデミックにはまったく評価されない(こんなお粗末な評論家を一時的にとはいえど持ち上げた読売も読売だ)。

また、子供に道徳を教えるときに、ならぬものはならぬ(いわゆるNN運動のこと)を言っているが、まったく論理的整合性がない。NNを主張するのであれば、当時の藩筋の高度な道徳学を学ばせればいいが、本書にはそういった道徳観もなにも明記されていない。単純なエッセイストによる”世俗評論”だ。また、さらに言えば、新渡戸稲造の道徳論も持ち出して、キリスト的な道徳のあり方を日本の古来の伝統文化と結び付けている、としているがこれもまた誤解が誤解を呼ぶ感想文だろう。新渡戸はそんな簡単に武士精神を述べていないし、武士道とはそれほど甘い価値観なのだろうか?

そんなものは要するにない。「武士道の逆襲」でも書かれた通り、日本の古来文化という武士道という精神は温情無用の実力主義であり、一言でいえば(負傷者より自刃者の方が多かった)新選組に代表されるように、腹切り責任の文化である。本書の内容はほとんどそれらの整合性がとれていない、それに尽きる。

一方で、この本は小中学生が保守の思想を学ぶにあたっての導入書としては素晴らしい。ただ、限定的な評価にとどまることは日本のAmazonレビューアの意見を見ても明らかなことだ。これでは現状の人工知能文筆にすら負けているといわざるをえないだろう。繰り返すが、あくまで保守の入門書としては評価ができる。それだけである。

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