子供のための文化思想論説:あなたの数百円は発展途上国の子供の命を救うか?

あなたもこれまでの人生の中で何らかの慈善活動をしたことがあると思います。特に募金なんかは代表例ですよね。この暑い真夏の中で募金活動をやろうという学生もいると思います。貧困にあえぎ、明日の生活もままならない人々を救おうという志は素晴らしいものです。私の母もまたそうで、かつては日本国内の学生に対する奨学募金活動「あしなが育英会」のスポンサーをしていたものでした。

ただ、これは貧困をめぐっては非常難しい問題です。あなたの税金が例えば、貧困にあえぐ国内の学生に使われることもこれからありうるでしょう。これが言われている、給付型奨学金の設立です。給付型ですから貸与と違って返還義務がないため、狭き門になるでしょうが、負担は減ります。税金といえども寄付金といえども性質違えど公金のような形になると思います。そして、給付型奨学金制度は民進党のいっている「人への投資」というものの一例ですね(自民党もいっていますが)。

ですが、よく考えてみてください。あなたが今このお金を発展途上国の最貧層に寄付したとします。あなたはこう思うかもしれない。「自分の国で困っているひとを助けず、ほかの国で困っているひとを救おうとするのは他人によくおもわれたいがための偽善である」―マザー・テレサ

ですが、これって本当なんでしょうか?本当にマザー・テレサのことは正しいのだろうか?と思いやしませんか。確かにそれはそうかもしれませんが、実はあなたが毎月親からもらうだけの数百円のお金を生命を救うことに使いたいのであれば、日本国内の募金活動に参加したり募金したりすることよりも、発展途上国の子供を救うための募金を数百円したほうがずっと効率は良いのです。命に大小はないのであれば。

それはなぜでしょうか?それは動かす資本が違うからです。例えば、今バングラデシュの資本を動かしたとします。あなたが日本のお金で日本の資本を動かそうとしたら、そりゃ難しいでしょう。経済の発展主体が違うからです。お金の価値が経済の発展の度合いによって変わっていくからですね。今BRICsの一角、リオ五輪の開催国であるブラジルは悪性のインフレに困っていて、みんなが買う食べ物ですら、かなり高価です。これはこういった経済の主体の発展性と関係しているわけですね。

話を元に戻しますが、日本のお金で日本の資本を動かそうとしても命を救うことは難しいです。人件費も工場ラインも動きません。ただし、日本のお金でバングラデシュ(や発展途上国)の資本を動かそうとしたら話は変わるのです。バングラデシュは経済の主体が日本よりも愕然とするほど小さいので、これがうまくこの募金という国際貢献を通じて国際寄付することによって、あなたはバングラデシュという途上国にいる最貧層の病に苦しむ子供のワクチンを提供できるのです。

マザー・テレサは確かにそういったかもしれませんが、これはかなり高度な論理になります(正確に経済学的にいえば話はまだまだ違いますが….)。これが「購買力平価」という概念です。あなたが毎月の親からもらう小遣いを数百円だけ寄付することで、特定国の特定の個々人の命を救うことは可能なのです。購買力平価というのは軍事費の比較でも同じで、有名なストックホルム平和研究所ではこの概念をうまく使って軍事費や軍事力の統計を取っています。

ビッグマック指数という概念もあります。これは購買力平価の概念から各国のファストフードのビッグマックを検算したもので、エコノミスト誌(世界でももっとも高級な経済紙)が提唱した概念です。こういった身近なところに実は物価の国際的指標が隠れていることは珍しくはありません。あとはみなさんの考え方次第でいくらでも人間の未来は開けるのです。

池田信夫の言葉を借りれば(まあ言葉は悪いですが…)、「金があれば命は救える」ということは事実なのです。

marikoi

ここの主筆・共同管理人。ぶっちゃけ狂人。

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