子供のための文化思想論説:スポーツの感動

さて、今Googleで「スポーツ 政治 分離」なんて検索すると、さまざまな意見が出てきます(論文を書いておられのかたもいるようですね)。ですが、私はスポーツと政治は分離する必要性があると思っています。これは私の価値観なので、いろいろと教員の先生とも論争になったのは事実です。いわく「オリンピックでイスラエルの選手団が暗殺されたこともある」とのことです。では、それをなくすためにあるいはつじつまをあわせるためにであっても、思考停止に陥っていいのか?それはNoです。

ちょっと小話になるのですが、私は大相撲では春馬富士が好きです。この力士はお父さんを交通事故で亡くしたときも土俵に上って勝ち星を挙げました。一度はあきらめかけた希望が相撲だったそうです。みなさん想像してみてください。たしかにこれは主観論であって客観論ではないので感情論だと断じられればそれまでですが、自分の父が交通事故で死んだときも土俵に上って勝ち星を挙げなければならない、ということは極めて峻烈な厳しさを感じるところだと思います。これほど悲しい話があるでしょうか?しかしこれほどうれしくてたまらない話があるでしょうか?私は彼に生きる勇気と感動をもらったのです。

話し変わればサッカーでレジェンドとなったカズがいますね。カズは中学校時代、進路指導欄にブラジルと書いて怒られたそうですが、実際現地のトップチームと契約した。彼は夢をあきらめて日本に帰りたいと思ったとき、こういった光景を現地で見たそうです。

カズはブラジルで絶望のがけっぷちの中、夢をあきらめて日本に帰ろうと思っていたときだった。なにを思ったか、ブラジルの公園に行くと、子供たちがサッカーをして遊んでいた。サッカーシューズはない、ボールはヘニョへニョになってて、子供たちその中には片足の子供までいた。だが、みんな楽しそうにボールに向かって走りサッカーを楽しんでいた。この光景をみてカズはショックを受けた。―「俺には立派なサッカーシューズも、立派なボールも、足もある。何を贅沢なことを言っているんだ…。」そう思ってカズは帰国を思いとどまった。

この後カズはJに帰ってきて最年長ゴールを更新し続けています。さて、こういったことを考えてあなたは、どう判断するでしょうか?スポーツを政治や宗教の問題はどのように扱えばいいのか?本気で考えたことがあったでしょうか?教員の言うように単純に割り切って特定の意見を否定していいのか?イスラム圏の水着はどうやって国際競技上の場で扱えばいいのか?

ただひとつ明らかなことがあります。それは記録より記憶に残る名シーンがスポーツにはあるということ。そして、彼らにもらった感動や勇気を、次の世代に受け継ぎ、発展させていくために、今我々が新しい時代のありかたを切り開く番だということです。

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