特集記事:ヒュー・ハー(Hugh Herr)の作る未来のバイオニクス義足

古来から身体障がい者は人として扱われなかった歴史がある。差別に苦しみ、足や手を失って人間として扱われてこなかった。日本ではその傾向は強すぎて、ほんの50年前まではほとんど就職先などは見つからなかった。東京五輪に参加したパラリンピックの選手たちは本心から驚愕した。欧米の障がいのある選手はみな笑っていて、希望に満ち溢れていた。だが、日本のパラリンピックの選手たちは孤独に苦しみ、病院に押し込まれて、未来などまるで見当たらなかった。だが、我々はその時代に終焉を告げる時が来た。―「技術が足を、手を助け、そして心までも希望へと放たさせる時代が来たのだ」

このTEDでハーが言うように彼自身障がい者である。登山中に足を二つ失っていて、だがそれを隠すことなくTEDの会場で見せつける。バイオニクスで作られた義足はすべての機能性をほぼ本物の足以上に再現できている。風刺でもエゴでもなんでもない。彼は、もともと学部では人文科学を専攻していた若き夢ある学生だった。だが登山での事故を機に技術をアメリカの有名大学で工学を学び、バイオニクスとして体系的に実用化することに成功したのだ。ちょうど筋電義手をディーン・ケーメン(Dean Kamen)が作ったように、しかしながら、彼はケーメンとは違う発想によって、精緻な分析を加えながら、義足を再現した。

いや、これは義足ではない。本物のバイオニクスの”足”なのだ。足の挙動、その人にあったその人だけの世界でひとつだけの足をもうひとつ、つくってあげることができる。しかも戦争で、テロで、足や手を失った人にとって、その人だけのオリジナルにカスタマイズされた機能性を機械的に再現できる時代が来た。ハーがダンサーである彼女の人生を助けたように、この技術は我々の障がいの世界を一変させるだろう。人々は技術を手に入れたのだ。オーダーメイド医療、純粋工学の立場からハーは希望を語り続ける。

この技術が実現するとき、人は足や手の意味合いを再考せねばならない。機械によって制御され、またその生体を模倣するような技術は実用化され、人々に希望をもたらす。その時、社会がどう変わるかということは興味深い。なによりも、ボストンのマラソン大会テロで踊ることを諦め、すべてをなげうって死のうとした彼女の意思に、みなが感動するのは現に事実だ。自らを表現し、工学の力によって、生きる意味も含めて、すべてを彼女は取り戻した。テロリズムに屈しない彼女のダンスに、人間に残された一筋の光を垣間見た気がするのは私だけだろうか?―「今、人間はどんな困難にも屈することなく、誰もが希望を抱き、それを輝かせる時代が来た」

marikoi

ここの主筆・共同管理人。ぶっちゃけ狂人。

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