哲学者・数学者偉人列伝その19:「エリック・ホッファー(Eric Hoffer)」

「波止場の哲学者」エリック・ホッファー…。哲学者の中でも現代哲学領域で教育をまったくうけなかった大学教授といえば彼以外世界にはひとりとしていないだろう。彼は生涯教育機関で学んだことはまったくなく、大学どころか中学も卒業していない。勉強は完全に独学で図書館でなされたという。

彼は天涯孤独の身で、移民の血を引いていた。ある時失明し、それが奇跡的に治ったことで、再び自分が失明するのではという恐怖感から、むさぼるように書物を読み、独学で植物学や物理学・ドイツ語と哲学をマスターしたらしい。わけあってカルフォルニア大学バークレーの哲学科教授になるが、ほぼ生涯にわたって港湾で工員として働くことをやめなかった。哲学の業績は行動的なものを認識したにすぎず、あくまで在野の哲学者としての評価にとどまる。

若者からベトナム戦争拒否だとか薬物のことだとかで当時は人気を集め、ヒッピーの聖典のように著書が思われていた時期もあったが、彼は自分の著書でも「今の若者は忍耐力が足りない」と何度も繰り返している。彼はヒッピーのことをあくまでも甘えた若造のようにしかとらえていなかった。ブルーカラーを労働主義の代弁者として評価し、これを肯定した。彼は労働を通じて得たものがアメリカ論に通じると信じ込み、偏屈な哲学しか作れずにあくまでも断片的にな評価しか現代ではなされていない。

ただしかし、彼の自伝は必見に値する。彼の労働観、価値観、人生観は尊敬に値するし、努力でもってしてアメリカの哲学の臨界点まで上り詰めた人物であることは強度に印象づけられる。日本にも東などが在野の哲学者ならぬ”思想家”として評価されているが、妙にこのタイプの人間性としては評価は似ている面はある。東がデリダ批評しか評価されていないのに対して、ホッファーは時代の流れを極小的に見た点でしか評価されていない。彼らは時代の変わり目だけをとらえていたがため、哲学の本流の仕事からは離れてアフォリズム的な評価があるに過ぎない。

その点がホッファーがオフィシャルな哲学者として評価されなかった要因ではないだろうか?そのように私は思っている。ただ、その数奇な運命や人生のありかた、勉学に対する学問に対するスタンスや差別をはねのけて過酷な人生を受け入れながら努力し続けたその方法論は潜在的には彼の謙虚さであって、それこそが哲学者としての、魂の、ソウルの叫ぶ場所なんだと…そのように思えてならない。

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