エンタメ評論:「フルハウス」―フラーハウス第二シーズン開始までの予習

https://www.youtube.com/watch?v=aWfzTSa_55U

これすごいなぁって思ったんですよ。「フラーハウス」も十分すごいけどこっちはギャグが中心…。それに対して「フルハウス」の中軸はあきらかに恋愛とか性差とかではないんですよ。明らかにこちらの場合は”友情”をテーマにしてます。これはファンであればだれもが認めるところだと思います。

私が思ったのは「フラーハウス」がいろんなジョークの引き出しがあるということ。それに対して「フルハウス」は引き出しはひとつしかない。だけれどもその引き出しの中にいくつもの宝石のように輝く瞬間があるということです。だからパブーリの回とかよりもずっと深刻でずっと難解でそれでいて結論は簡単なものを引き出せる。これが「フルハウス」の中軸だと思うんです。それが”友情”なんですよ。例えばシーズン6の13、「ステフ、恋心ゆれて」ではステフとDJの兄弟の友情を描いた。これ続いて、6-14「バースデー・ブルース」ではDJとキミーの友情を描いている。

ステフは恋をしたいと思って、それを”とっぱらかす”。恥だと言う妹を、それは経験によって感じる心の機敏であるとDJはステフのことを諭します。14ではバースデーをすっぽかされたキミーがDJと喧嘩して和解するシーン。共通するのは同性なのにやはり性差とかそういうジェンダーとかくだらん”理論”で語られないところを描いているということ。どちらとも心の機敏、ギターの線音のような機敏がすごく具体性でもってしてそれでいて鮮烈に語られるっていうところです。そして彼らはハグをして、姉妹であっても兄弟であっても友情が頑としてあるということ、またはキミーについていえば、一生で出会う本当の親友の数は限られているということが実証されるわけです。人生における支えになる”橋”が確かにそこにはある。だからフルハウスは何度見ても感動するんです。

今、Netflixに入ってない人はこういうギャップが見て取れないでしょう。「フラーハウス」のほうはNetflixだけでしか現状見れませんから、今後NHKがライセンスをとるかどうか(おそらくとりにはいくでしょうがね)はわからんけど、このギャップがあってこそ久作と現作の違いがよくわかる。それは心の琴線にふれるようなものなんです。だから実際見てみないことには本当にこのあたりは実感できないでしょう。主題として、「フラーハウス」はギャグであり、「フルハウス」は友情なんです。だから現作は旧作を超えられないんでしょうね、というのが私の率直な感想です。そういう意味で今Netflixに入っていない、「フルハウス」のファンは多いに損しているといっていいのではないでしょうか?

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