哲学:「道徳哲学」”銀の泉”

ある世界で動物たちが自由闊達に活動していた。自然を愛し、動物同士が尊敬の念でもってして生きていた。あるときそこに人間のような形の動く人形が表れてきた。その動く人形は体は弱いものの、強い頭脳をもっていて、工具を作っては動物たちに使い方を教えた。動物たちはその人形に”ヘン”という名前を付けた。これが物語―「銀の泉」―の始まりである。

”ヘン”は最初穏やかで動物たちに優しかったが、そのうちに集団化して、暴徒になっていった。動物たちとの距離感はおかしくなりついに戦争にまで発達してしまった。増殖した”ヘン”は緑があった森に工場を作り、そこで兵器を量産しては戦争を繰り返した。動物たちは”ヘン”をなんとか鎮めようと戦いも試みたが頭脳に勝る力なし。”ヘン”たちを説得するには到底至らなかった。ある時”ヘン”たちが工場を作ってそれを運営し鉄ばかり量産していたことを動物たちは恐々として見ていた。だが、”ヘン”のくみ取る水が十二分にあるわけではない。そのうち水は枯れて、工場は廃れた。”ヘン”たちは失った水をもとめて、砂漠と化した水泉の底に落ちていった…。

”ヘン”たちはやっと自分たちの過ちに気が付いた。水が十分にあるわけではないこと。自然に対する畏敬の念を忘れてはいけないこと。自分たちの信じたことだけを妄信し、それだけで行動する利己主義があってはならないことをようやっと死にかけた今、気づいたのだった。森の木は枯れて砂漠だけが残った。すべてが廃れてすべてがゴミ屑のようになっていったのだ。ここに至ってようやっと”ヘン”は事態を理解し、自分たちの過ちを認めて涙したのだった。

だが、話はこれで終わりではない。”ヘン”たちの涙は集まり集まって、砂漠の泉に水の泉を作った。きれいな涙が泉を再びよみがえらせたのだった。そのうち砂漠と化していた水泉の底に沈んでいった”ヘン”は、自分の涙によって浄化されていった。森には緑が戻り、木々が再び生え始めた。動物たちは過ちを犯した”ヘン”を受け入れ、改心することを約束させた。動物たちは”ヘン”と和解して、多くの決まりを作った。それは自然と”ヘン”が尊敬しあい、お互いのことを尊重するという決まりだった。その後、いつまでもいつまでもこの理想郷はこの世界のどこかにあるという…。

NHKのお話の国で放映されたものです。では道徳哲学として我々はこれから何を学べるか?

①”ヘン”とは何だったのだろうか?

まずヘンは人間の寓話であるということは簡単に予想がつくよね!ヘン=人間の歴史ということはわかるよね。自然と調和していた時代がかつて人間もあった。それは残酷さとか古代さとかと関係するけど、ヘンの本質は何だったのか考えてみることが必要だな。

②”ヘン”が犯した過ちとはなにだったのだろうか?

ヘンは自然を犯し、自分の力を過信しすぎたよね!工場まで作って、兵器を作り、科学の力がすべてを調和させると過信していたんだ。ではここから人間の世の中とどう違うんだろう?よく考えてみよう。

③自然と”ヘン”との関係性はどのように変遷していったのだろうか?

最初はヘンは自然を軽く見ていて、道具にしか思っていなかった。だけれども改心した。ヘンが過ちを認めて、それを改善していこうとするプロセスはどういうものだったか。またヘンが人間の寓話の産物だったのだろうなら、何がこの話から我々が学べるのだろうか?

④なぜ”ヘン”の改心を動物たちは許したのだろうか?
動物たちは殺し殺される相手だったヘンたちを再びコミュニティーに受け入れた。なぜここまで寛大なこころをもてたのだろうか?戦争の対義語は平和であり、平和の対義語は戦争である。戦争とその後の平和はなぜ動物たちとヘンの間で関係されたのだろうか?

⑤”ヘン”の涙の理由とその本質とはなにだったのだろうか?

ヘンが涙を流した理由とは何だろうか?涙を流すということはどういうことだろう?感情とは何だろうか?

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