子供のための文化思想論説:仁木英之の「北斗の拳」評論

皆さんも一時期PTAで問題になった「北斗の拳」を知っていると思います。たしかに残酷極まりない表現がとられていますし、問題視する親御さんのご意見もわかります。ですが、やはりこの姿は義信の心のもちかたを描いた作品だから、私は子供に見せてもいいと思っています。このことを信州大学出身の作家である仁木英之は読売新聞上でこのような表現で北斗の拳のレイを評価していました。

はじめ、私はレイの報われない運命に自分の思春期特有の劣等感と重なり合って泣いたのだったと思っていた。だがそれは間違いだった。男として、かなわない相手に立ち向かい愛するもののことを思い、義の精神に殉じて死んだレイの美しい姿に涙していたのだった。大人のように生きれない自分がいると感じたとき、いつでもレイの水鳥のような美しい姿が脳裏をよぎる。

これは本当に感動モノです。仁木は若いころ北斗の拳を読んで号泣したことがあったそうです。それが思春期の劣等感の塊として涙として現れたというのです。だけれども、仁木は堂々たるレイの、技である水鳥拳の美しさに惹かれ、それが「義信」の力によって美しい形で表現されたということが感動だったというわけです。私は形かわれどもリアル現実にもこういうことはあると思いますことを皆さんに伝えたいと思います。それが大相撲の日馬富士の例です。

日馬富士はお父さんを交通事故で亡くしています。ただし、その命日である当日も土俵に立って勝ち星を挙げました。日馬富士が感じた絶望感を隣り合わせにして考えてみるとこれはレイのいう義信、すなわち技の極地をみたような気がしてならないのです。それは洗練されていて、美しい相撲道や武道の精神でもあります。父親が交通事故で死んだ日も土俵に上がらなければならない….。これほど悲しくてでも勇気づけられてまた明日も頑張ろうという気概にさせてくれる実話があるでしょうか?

たしかに月にいってアームストロングは偉大なる一歩を踏みしめたでしょう。ただし私は日馬富士の命をかけて土俵に上がる姿に水鳥レイに通じる生きる勇気と感動をもらいました。絶望をはねのける力をもらいました。だから日馬富士のしたことは偉大で、アームストロングにできなかったことを地球上で表したわけです。NHKの実況者もその様子を見てこのようにいっていました。私たちがたとえ箱の中に入れられたかよわき存在でも、その生きる苦しさと感動を感じることができれば、どんなときだって勇気を出せる。人間はそういう意味で誰もが偉大なわけです。

日馬富士、天国のお父さんに捧げる、平幕相手の大金星です…。

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