連載たまにはゲームでも:「ゲーマーならすべてを愛せよ」

昔デッドラの実況をやっているひとがいて、そんななかで元ベトコンの残党兵のエピソードがあったわけですよ。批判コメが集中する中、ひとりの勇者がいた。そのかたが投稿したコメント…「ゲーマーならすべてを愛せよ」わたしとしちゃここのあたりが今のゲハ論争に終止符を打つポイントだと思うんですね。そもそもゲハがここまでなんで交錯して論争になっているのかってのはわかりかねます(大人の態度として)。ですが、論争はメンドクサイけど、その本質の部分はわかる。というのもゲームハードって買ったら使わないと意味ないですよね。このあたりだと思うんですよ、でゲーム自体には飽きてきているってのもある。飽和してるからこそゲハ論争に尽きる。ちょっとまとめてみましょう。

・ゲームが進歩してSteamが先達になっているので、最新のゲームは全部PCのSteamから発達。
・対してCS機はクソゲーが蔓延、日本では一部のdevを除いて(フロムとか)ダメゲーばっかり。
⇒この現状に対して不満が鬱屈、ゲーマが言うように「ゲームに飽きてきた」ので…
⇒必然的にその問題を感じる今、ゲハとか産業構造に問題を転嫁することが日常茶飯事に。

・ゲームハードはかなり低価格になったとはいえ、それでも最新機種が数万はする。
・ゲハで自分のお気に入りのゲームやハードウェアについては信用したいという思いが強い。
⇒結果、自分のハード決定の意思決定プロセスを大切にする。”自分は”間違ってない!という思い。
⇒例えば「MSのほうが経営は安定してる!SONYは経営赤字だ!」(あくまで例)とかいうことが蔓延。

という二重の問題があると思う。まず、ソフトウェアの問題がはじめでハードの問題が後者。奥谷もいってたけど、ある程度大人になるとゲームのプロになるか(ポテンシャルは低いけど)、それとも、ゲームの報道関係者になるかどっちかなんですよね。プロゲーマになるのは最強に難しいし、報道関係のほうがまだ楽。だからその真似事をやりたいという思いはわかる。その上、市場が全体的に成熟して飽和してるから、同じようなゲームが増えてきた(必然的に)。それゆえに論争に拍車がかかる。

自分のお金で買ったものだし自分の意思決定プロセスは間違っていないという思いが購入ハードに乗っかる。こっちのハードのほうがいいんだよ!いやあっちだよ!とすでに購入したものについて、あれこれ言いたがるのもわかる。一時期吹いたのは、「CS機全種類もっちまえばゲハ論争なんかなくなるんじゃね?」っての。確かにその通り、だけれどもこの事実が実はゲハ論争に終止符を打てない要因なのです。要するにハードの論争というものはシェア争いの産業問題に起因しているということです。だからこそユーザレベルでもゲハの論争は絶えない。炎上だってなんだって大人になったにせよ子供にせよ、ゲーマーとして当たり前なんです。

これを解決する一番の方法ってのはやっぱ決まってます。ひとことの精神論を述べればいいだけ。それはずばり先に書いたようにこうです。―「ゲーマーならすべてを愛せよ」だとか、「みんな仲良くしましょうね!」ってことだけです。これは感情論だけれども久夛良木でさえ、PS3発売時ああいうこといってたんだからゲハ論争に終止符を打つにはこれ以外の概念はないです。要するに…「情に訴えるしかない」わけですよ。

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