哲学:「政治思想編」ホッブズは絶対王政を擁護したか?

今日、憲法学やその他法学のテキストを読むと、ほぼ必ずホッブズは「自然状態」を「万人の万人に対する闘争」とした、と書いてある。本当だろうか?彼はロックとの対談を模した本書ではそんなことはひとつもいっていない。本書では文学的修飾すら美麗で、法学徒がクックに心酔するロックをあやかしているのに対して、哲学者であるホッブズが答案を出していくという問答法のような形式になっている。二人の対談はついには実現しなかったが、架空対談としてホッブズにより書かれ、また本書がリヴァイアサンの理解のための必要な著書とまで訳者である日本におけるホッブズ研究の権威、田中などが述べている。

これは要するにルソーの自然状態とも相いれないものではないということを言っているし、その否定形までをも考えれば両者合一ともいえるものだ。ルソーは「自然に帰れ」いったと教科書には書いてあるが、そんなことは一言も言っていないと結論付ける有識者もいる。要するにこれは論文やなにかを書くときにそのテキストには反証が含まれていて、それに対して人物がどのような態度をとるのかというもっともっと論理主義のありかたの大きなサイズの問題提起なのだ。

本書が優れているのはそのきれいな構成のみならず、現代に復活したホッブズがもっともっと近代史や現代史をもってして述べて、先見の念でもってして自然状態を定義した点だ。ホッブズは本書ではひとつも自然状態を闘争固定していない。むしろ著書の修飾形容を多く使うことで、現代に蘇った民主主義者としてのホッブズの側面が見えてくる。ホッブズがリヴァイアサンやベヒモスを権力の在り方として定義したのは象徴主義の建前だけなのだ。そこからなにかを得ようとして苦悶して晩年に伏すまで生産性高く執筆活動をしていった彼の人生をたどるとそこには民主主義の根底を現代から見据えた過去のホッブズがむしろ現代に蘇ったような感触さえある。

つまり、蘇るのはリヴァイアサンでもなんでもなく、そこには狡賢い論理のつじつま合わせしかない。東も語るように蘇ったのはリヴァイアサンではなく、ルソーの自然状態提議をする民主主義のことであって、その周辺にいるホッブズ・ロックをも含めた三者三様の素朴な疑問を持つ現代人たる学識者のことだ。要するにこの観点から見れば面白いのはGoogleとルソーの思想を受け継がせ橋を架けた東の思想であり、それのほうがずっとずっと現代的ではある。ただ、それはあくまでポスト現代思想をフランス思想を基盤として限定的に述べたところにしかなく、思想的意義の発展としての学問はドイツ哲学も含めた総合思想ともいえるのだろう。

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