特集記事:天皇陛下の生前退位に関する考察―生前退位は本当か?あるいは妥当か?

今上天皇が生前退位の意向を示された(http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071300971&g=soc)。こういったシビアな問題は情報がやはり当然らしく錯綜していて(宮内庁高官によればそういった意向は述べていなく、政治的問題になるので”ありえない”としているらしい)、今日の読売の夕刊によると、やはり今上天皇が海外の王室の傾向などを考慮に入れてお考えだったということを述べていらっしゃるようである。もちろん健康状態の問題もあるだろうが、それ以前の問題として、この問題を取り扱う必要性がある。

まず重要なのは今上天皇が海外の趨勢を鑑みてお考えになったということだが、日本の場合、海外と単純に並列して考えられるものではないのは明らかなことだ。君主制の反語は共和制であって、これは国名に如実にその国家おのずの歴史があるということを示している。フランスは王室を持たない(というよりも革命の名のもとに国王を処刑した歴史がある)共和制の国、フランス共和国であり(ちなみに第五共和制)、イギリスの正式な国号は”United Kingdom of Great Britain and Ireland“(グレートブリテンおよびアイルランド連合王国)である。イギリスは周知のとおり、王室をもつ立憲君主制(君主制と言えないこともない民主系の君主制)である。

日本の場合は、天皇の戦争犯罪は問われなかったため、象徴天皇制というあいまいな立憲君主制を保つことになった。実はこれはすごく世界の歴史の中で特殊なことである。チョムスキーが昭和天皇のことを戦争犯罪人というように、現代の日本の皇室はあまりに特殊な点が多い(というよりあいまいな点が多い)。まず、筆頭に挙げられるのはその国際的な対応語の比較である。

例えば、日本の場合は皇室であり、王室ではない。これは明らかなことだが、世界の英語文献による天皇の表記は明らかにエンペラーである。これは明らかに日本語に直訳すると違和感がある。エンペラーは”帝王”だとか”国家君主”であって、エンペラーは”天皇”ではない。これは確かに直的な対応語がないため英語ではこれを示さざるを得ないが、明確にいえばTennoというべきであって、Emperorというべきではない。英語版のWikipediaも天皇の項目はこう(https://en.wikipedia.org/wiki/Emperor_of_Japan)なっている。明らかに単純にEmperorと言わずに、”Emperor of Japan“となっているのがわかる。なんとなく、苦しい訳語に見えないだろうか?

次に統治の方法論の問題である。先に述べたように日本は一様、立憲君主制と言われるべきだが、それだけで示されるものではない。識者の間でも日本が立憲君主制に属するかどうかということはかなり大きな問題である。私はこの問題は追及すること自体がナンセンスだと解釈する。要するに昔は王とか共和とかいわれたが、歴史の中でその定義もまた変わる。日本の場合は明らかに特殊な立憲君主制だが、それは、実は歴史の成り行きのなかから出てきた要素であるので定義はそれほど重要ではない。むしろ、総合的に鑑みて、今回今上天皇が示された通り、独自の道を歩んできた日本は日本独自のある種のメタ立憲君主制の制度を持てばよいと思う。日本文学研究の世界的権威であるドナルド・キーンの本書も示す通り、明治天皇から続く、その歴史性もまた鑑みる必要がある。

そういう意味では、今、日本で意見されるべきは国民的な国家枠がどこに収まり、どこへ行こうとしているのかを象徴天皇制の名の下に考えていく、総合的な俯瞰問題である。これはもちろん、今上天皇もすでにご存じであろうが、決して海外の潮流にまかせて考えればいいというような単純極まる問題ではない。それゆえ海外の事例は参考程度にはなっても特殊な「日本王室」を考える上ではあまりあてにならない。

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