Key「Air」評論―美凪シナリオが一番感動的という至極まっとうな実存主義的意見について

Airの論法ってのは確かにけっこう興味深いものです。編がいくつも分かれていて、その中で実存的な問題を超えた現代思想の問題として東は関連性を紐解いています。東曰く、父の不在とか家長父的制度と比べて、その存在のなさにこそある意味合いが裏返しの論法としてあるということ(「ゲーム的リアリズムの誕生」によると)だそうです。私見ではですがこれはあまりに苦しいポストモダン(あるいは現代思想を専門とする)思想家の意味付けにか見えません。東は同著で”父になれない”オタクとか、父という存在になれない自分を貶める(プレイヤー自身)ということで意味づけていますが、これこそあまりにも強引すぎる論理だと思います。

まず、オタクは消費的な動向としてのみにおいて、このジャンルのデジタルノベルゲームを見るわけではありません。例えば、次の評論のほうがむしろ東の評論よりも非常に優れていると思われます。ここ(http://www.geocities.jp/sinobu_yuki_o/minagi.html)ではむしろオタクが父になれないとか主人公の不在というテーマ性に重ね合わせて論法を(東のように)組み入れるのではなく、実存の美しさを美凪シナリオに重ね合わせ、それを自然としてとらえようとする努力があります。そういう意味ではしのぶ氏の評論のほうが、東の評論よりもより印象主義的で、かつ現実を正確にとらえているので、私は評論の類違えども、東よりもしのぶ氏のほうがずっといいことをおっしゃられていると思います。

東はむしろ思想的に内在する左翼的な評論に偏っていて、ポストモダンの影響力があまりに強すぎるので、無駄に難しい回答になっていると思います。しのぶ氏はその逆説を利用したうえで、さまざまな編によって構成される(DREAM/SUMMER/AIR編)Airというゲームの構造を正確にとらえ、これを無駄なく「美しさ」と「幸せ」によって構成されるものだととらえています。そしてしのぶ氏がいうには、Airの実存性はむしろ、その全体性ではなく、美凪とみちるシナリオの実存的美しさにあるといいます。そういうことですので、「実存に帰れ」と至極まっとうな評論をしのぶ氏は答えとして用意してくれました。これは時代が一回りして実存基礎な印象思想にテーマが帰ってきたということだと思われます。

むしろ東氏がこのような評論をするのは彼自体が父になったからこそ自然体として降下するのではないでしょうか?父性の不存在もしくは失敗とキャラクターの不存在とを東がいうにはかなり無理があると思います。そういう意味で実存的な価値観を正式に受け継ぎ評論として成り立っているのは東の短評ではなく、しのぶ氏の評論だと思う。ここが東のウィークポイントであり、また主著が博士論文だけの一発屋などと酷評されることが多い理由ではないでしょうか?Airの評論は別に全体像をポストモダンとしてとらえなくてもありうることはしのぶ氏がいっていることと同じだと思われます。私はアニメしか見ていませんが、それでもなお、このことは強いインスピレーションでもってして語られるのです。そういう美しさはだれしもが子供のころ若いころに帰ってくる家や、家族、あるいは愛や友情、そういったある種固定的で普遍的な印象評論からしか導けない…、それが私がAirのストーリーでもってして語られたであろうことのようにしか思えません。

というわけで、この美凪の話の美しさは際立っていて、ある種、星の王子さまのテーマ性としてかぶるような理想的な美しさへの羨望があってほしいというのが私個人の意見です。そういう意味で、美しさは作中の美凪・みちると重ね合わせる、キツネと星の王子さまとの対話という単純なテーマと合わせてみたほうが現代思想にかぶれるよりかはずっといいことだと思うわけです。

「昔、こどもだったこの世のすべての大人へ」
“Le plus important est invisible”―「大切なものは目に見えない」

サン・デグジュペリ著”星の王子さま”より引用

※この記事は許可を得て校正と投稿をしたものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA