特集記事:アリストテレスが予測したポピュリズムの再誕―ルペン・トランプ・桜井誠

アリストテレスの政治学が近年再び注目を浴びている。アリストテレスの民主主義の論述の中で、一番今でも注目に値するのは衆愚制や僭主制の在り方だろう。本書で、彼の定義した循環論が現代の世の中でそのまま受け入れられるかは不明だが、私はイタリアのエリート学派がいったようにすべての政治制度は寡頭制に落ち着くという理論を擁護する。これはメディアの再誕とともにかつてアリストテレスがいえなかったことを代弁しただけであって、それ以上でもなんでもない。これが”ポピュリズムの再誕”だったのだ。

アリストテレスは民主主義はその性質故、衆愚制になるという有名な論説を本書でなしている。また、循環論においては、衆愚制は僭主制と寡頭制の根本的原因であり、それが民主主義の弱点だとした。現代の世の中の民主主義を見ていればわかるが、彼の理論は大筋には認められるものであって、確かにすべてを受け入れることは不可能に近いが、その理論の先端さでいえばすべてが包括できる修正可能な歴史主義でもある(ここではあえて修正と使ったが、いわゆる歴史修正主義とは別種の問題ごとを言っている)。

フランスでルペンが決選投票に残り、またアメリカでトランプが大統領になり、今日本ではポピュリズムが再び咲こうとしている。私はまったくもって彼に賛同するわけでも批判するわけでもないが、日本におけるポピュリズムの源泉は実は小泉純一郎である。メディアを扇動し、飯島秘書官を人事起用で使い、経済政策には竹中を起用して、巧に政権運営をした。経済的な貢献は池田もいうように顕著ながら、この政権がどれほど支持されつくしたかという根本の問題は小泉の言動からして複雑な関係を示すものだ。なんにせよポピュリズムは小泉が敷いた政治体制だった。それがアリストテレスのいう民主制からの衆愚制の誕生である。

日本で桜井誠が言っていることも日本流にアレンジされているが、実際は右翼系の勢力である。厳密に桜井がポピュリストかというと疑問符が付くので、日本だけで論じれる問題でも、また同様にフランスだけで論じられるものでもない。それはかつてトックヴィルが訂正的に民主主義を述べたように、アメリカ同様でそれだけで限定して論じれる問題でもないのである。フランスは東が言うように微妙なところ(行ってしまえば聖域)である。アメリカは自由の国である。そして日本は「本質なき国」である。

小泉の民主主義はいうまでもなくポピュリズムそのもので、実はこの時点で民主党政権ができるということは自明の理だった。小泉流の日本は民主主義をうまく利用して合法的に政権を作った。それに伴う改革は称賛に値するものだったが(一義的には)、その後の政治制度はやはり混乱し、衆愚制に近いものになっていたので、傲慢が起こり、自民党は汚職や失言などで腐敗し続けた。このころから民主党への期待が高まりつつあるのはアリストテレスの理論から言っても理詰めでいっても当たり前だったのだ。結果、民主党政権は失敗してすぐに自民党に揺り戻され、都知事選では桜井が登場し、一定の存在感を示した。すべては筋書き通りだったといっていいだろう。

フランスでルペンが強みを増し、アメリカでトランプが大統領になり、日本で政権交代が起こって失敗し自民への揺り戻しが効きながらも桜井が登場したことは、実はこうして考えると当然のことながらまぐれでも偶然でもない。彼らの一連の論述はそっくりそのまま「政治学」の循環論に適用できるわけではないが、少なくとも、アリストテレスの民主主義の論理に沿って、起きたことが追従していっただけである。今僭主は再び誕生し、世界を支配するベクトル的可能性が強くなっている―そういう意味でアリストテレスの理論を現代的に修正した、イタリアエリート学派のミヘルス・モスカの言っていることが、現代では機能しているように私は感じている。

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