連載たまにはゲームでも:オープンワールドの起源―「リトルビッグアドベンチャー」の思い出

実は、復刻版がiOSやドロに加えSteamでも配信されているLBA…。これはタスクをこなし、世界を広げ、そこを冒険するという今でいうオープンワールドの先駆けだった傑作だ。主人公トゥインセンとなり恐怖政治により世界を支配するごろつきどもを倒すというゲームだが、このジャンルのゲームすなわちオープンワールドとはかなり歴史が古い。すなわち前述したようにこのタイプのゲームってのはこのとき20年以上前からあったのだ。その起源ともいうべきゲームがこのLBAだった。

富士通のパソコンでトライアル版を入れて私もゲームをやって、その中で冒険していたが、これほど革新的なゲームはいまだかつて一度もみたことがなかった。当時の世界観は現在でいうオープンワールドそのもので世界観が無尽蔵に広がり、そこを想像で補完しながら、プレイしていく綱渡り的なスリルのある感覚は時代の先を見すぎていた。LBAは革新的すぎて、到底誰もが当時は(主に日本国内でいえば)注目するに値しなかったという作品だ。

たとえば、ごみ収集車に隠れて街を脱出したり、マジックボールを攻撃に使ったり、敵の視界から隠れたりと隠密ステルスもできて、正攻法で敵をなぎ倒していくことまでできた。当時のウリは「これが最新の3Dポリゴンだ!」というもので、今見返してみてもグラフィック的には前時代のものを感じるが、いうまでもなくゲームシステムや大局的デザインではまぎれもなく時代を先行しすぎていたのだ。あまりに先見の念が強かったためみたものすべてだれもがこのゲームには手をださなかった。その理由としてはふたつ考えられる。

まず、オープンワールドといういい意味での時代錯誤が理解されなかったこと。これはもう語ったからいいだろう。これは同時代のゲームと比べてもかなり世界観が大風呂敷になっていて、それを攻略していく味があった。噛めば噛むほど味が出るするめゲーだったのだ。さらには、その広大な世界観の中で起承転結のアドベンチャーアクション要素という最強のデザインセンスを持っているタイトルだった。ここに着目できず、多くのユーザ離れを引き起こしたのは現代になって振り返ってこそのことだが、よくわかる。

二に難易度の極めての高さと操作性の問題だ。このゲームは難易度が極めて高い。相手をはめ技で倒す技術が必須なことや操作性の極度の悪さがその拍車をかけていた。ダッシュひとつジャンプひとつとっても主人公の操作はかなりのろくまどろっこしく難しく…例えば、ダンジョンで落石から逃げるシーンなどは床に落とし穴などが作られていて、極めて遅延的な操作性もあった。主人公トゥインセンを実に巧妙に操作しなければならないシーンがこの他にも多数あった。

オープンワールドの歴史を振り返るときこのLBAはかなり重要な作品で、今でいうMGSシリーズの”友人”だろう。あれよりも高い評価を一部では受けているとさえ言われる。EAの創造性はいまでこそFPSが主だったものだが、このタイトルは後出のどんなタイトルよりも隠れた名作だといえる。オープンワールドの理論を作ったのはなにものでもなくこのLBAだったのだ。ただ当時の技術では敵AIの実装はできてもそれどまりだった。技術的にこれ以上連携等NPCの活用を豊富にすることは絶対に不可能な領域だった。本作がアイソメトリックだったのにもこの辺りの理由がありそうだな。

*この投稿は許諾の上改変掲載されているものです。

marikoi

ここの主筆・共同管理人。ぶっちゃけ狂人。

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