マジで恋する書籍レビュー:「電通」田原総一朗

まさかKindleで本書が復活したとは想わなかった。私が著者について知っていることといえば、田舎の保守的な自民党基盤の高等学校で(保守的な公務員の子弟が多い学校で)著者のことを名指しして「左翼」「売国奴」と言っている同級生が多かったということだけだ。「朝まで生テレビ」も地上波で見たことはないし、氏の情報で知るところは私自身少ない。ただし私も確かにある種側面ではそういう氏に対する噂を知ってはいたし、北や中国とのつながりとか「拉致被害者は生きていない」発言だとか批判されるべくして批判されてきたという軽い印象もあったのは事実だ。だが、田原はまぎれもなく本書で示した通りにジャーナリストとしてはまぎれもなく天才である。一流である。本書ではその意味合いが色濃くにじみ出ていて、時を超えた名著といえるだろう。

田原は本書において、「電通」という企業がいかにして、当時入学試験がなかった旧制東大OBによって構築されてきて、いかにして広告代理という当時は低俗級だった業界を盛り上げたのかという歴史を紐解きながら、詳細にわたって記述している。本書ではどういった学歴層が電通に入社しその外枠にある人間的なコネ関係や、のちにつながる鬼十則の原型がいかなるものかということを指摘し続けて、いかにもジャーナリズムにのっとった形で整った体裁で電通の抱える事情を客観的に書ききっている。

それは電通の批判者としてではなく、歴史の番人としてこの会社を客観的に評価している点が私にとっては実は意外だった。なぜならば、田原の言動やその意味合いに共感するどころかその個人の内実まで全く私は知らないのに、本書に関して電通がネットで書き立てられているような「あくどい企業」というイメージは潜在的にあったからだ。例えば、当時のネット層でいえば「すべてのエンターテインメントは電通が支配している」とか「ドラゴンボールもなにもかも電通の戦略のうちのひとつ」という陰謀論までを信じ切っていたからだ。繰り返すが、田原に関しては無知だったのに、電通に関する悪評を私は信じ切っていた(無論このレトリックの関係は、いまだに一部消え失せても残っており、完全に消えたものでもないし、過労死を推奨したいわけでも電通を擁護したいわけでもない)。

高校時代にこの書物に出会えたことは私にとって財産になった。田原がその陰謀を払しょくし、定量的かつ主観の集合である客観の論述でもってして電通を描いたことが素晴らしい彼の業績となっている。本書を読めば、電通という企業がどういう会社でなぜ現状のような事件が起こったのかということに対するある種「典型的な非難を超えた批判」を提起する極めて重要な書籍である。確かに甘いところがまったくないというわけではないが、本書は傑著であることに間違いない。本書のKindle版には電通の批判者としての田原というありていの紹介文がついているがこの書籍はそれだけでもなんでもない。単純な構成の中に取り巻く人間模様をジャーナリスティックに書き続けた点にこそこの書籍の素晴らしさがある。

私自身、電通が神々の住むような場所という人材の輩出会社として意識しているのも事実だ。いわゆるヤバい企業だという面も複雑な論理と心情の中でいまだに持ち続けているが、そのような感情と入り混じった理性を田原は見事にバランスよく文章として書きだす。これこそまさに天才の仕事だ。池田はそれに補講して電通の持つ体質のヤバさの本質とは何かということを人海戦術として言及している。だから田原の電通にまつわるインタビューは池田のそれと妙に合致し、両社合一の利害関係があると私は思っている。

とにかく現在、就職活動中の学生はKindle版だけではなく本書古書版も必携であるどころか、広告代理店という業種に興味のあるあらゆる人々、あるいは今回巻き起こった過労死の事件について初めて実情を知った人、また霞が関の実態を把握したい人、今の企業社会問題における問題を取り巻いた、だれにとっても有益な書物であることに間違いはない。電通の照らす未来があるのかないのか、田原が渾身の限りを絞って描きだし詳細を追った白眉たるルポタージュといえる。

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