これならわかる国際政治:「朝鮮戦争」【戦争の力学】

朝鮮戦争 – Wikipediaより引用

現代の戦史をめぐる考察の中で朝鮮戦争ほど苛烈で残酷極まりない戦争はありませんでした。近代整備がなされた兵器同士による戦争におけるもっとも悲惨な歴史(現代兵器による小競り合いとして比較できるのはフォークランド紛争ぐらいではないでしょうか?)です。朝鮮戦争の要因は様々な説がありますが、北朝鮮が侵略をしたというのが日韓における学会の定説で、朝日岩波といった左翼系がこれに反し南の挑発説を唱えていました(むしろ今でも唱えている学者はいるようです)。戦争の背景には冷戦があり、スターリンや毛沢東といった人物が関係しています。たしかにこれだけで朝鮮戦争の戦史を紐解けるものではなく、”冷戦が原因”というのはあまりに単純なありていな言い方であって、戦史の専門家や知識人からは様々な異論があります。歴史は様々な説が反証可能なほど整ってはいないので、単純にこれこれこうですとはいいがたいです。ですが、虐殺やレイプが多発し、人間の人格がこれほどまでに危機に陥った戦争も大戦を除きありませんでした。

当時、北の部隊は韓国よりもずっとずっと精鋭で強力な武装を持っていました。今では考えられないことですが、韓国は弱い武装で(朝鮮戦争後、再武装し近代化され強力になっていますが当時は弱小軍しか持ってなかった)、強力な北がまさか侵略戦争を仕掛けてくるとは思ってもいなかった。だから、戦争開始時は韓国は北の軍隊に圧倒されました。このGIF画像の様子を見ればわかりますが、朝鮮半島の南端まで追いやられたんですね。それで包囲されて、ガンガン掃射されまくって、たちまち韓国は窮地に立たされます。そこで頼ったのがアメリカでした。当時のおおざっぱな実情から言えば、北の共産勢力と東のアメリカ勢力との代理戦争だったというのは事実ですから、こういう対立軸が生まれ、マッカーサー率いるアメリカ軍海兵隊が海岸から制圧前進していきました。結果ソウルを北から奪回。北を追いやっていったところ、そこで出てきたのが中国です。義勇軍を募り、変則的な部隊編成でもってして、猛烈に東諸国の軍隊に反撃します。一時期叩きのめされた韓国軍もまた反撃に出て、この戦争は、ソウルを奪回したりされたりする、熾烈きわまりない泥沼状況になっていきました。

驚くべきことにアメリカはソウルを奪回した後、中朝義勇軍によりふたたび反撃にあい、奪回されるんです。さらにマッカーサー率いるアメリカ軍は反撃に次ぐ反撃でソウルを再び手中に収めたあと、激高し中国直前まで前進、そこでマ元帥は「中国軍を叩き潰す」といい、シビリアンコントロールを無視し、トルーマンに原爆使用を進言します。トルーマンはこれを危機とみて、マッカーサーを軍職から完全に解任。ソウルを二度三度転換する大戦争はここに至って休戦となります。そしてこの休戦ラインが南北を分けている38度線というものです。よく映画に出てくる板門店(パンムンジュム)ですね。今でも北の部隊と韓国の部隊がラインをまたいで常に立って警戒しています。

これが朝鮮戦争の概略ですが、各国の共産勢力に決起を促した流れもあり、日本でもこういった極左による事件事故が多発。アメリカは共産勢力の再興に危機感を抱き、いわゆる日本でも「逆コース」と呼ばれる政策をしきます。これは解体された旧日本軍による勢力に力を再び付与することで、共産勢力の力を削ぎ、再び軍国的な政権を限定的に認めることでそういった左翼に対しての「防壁」を構築しようとする政策であるわけです(ついでに言っておくと三菱などの財閥にも再び力を与えましたので今でもグループとして残っている)。この逆コースに乗ったのが在りし日の岸信介でした。実は私も知っているカメラマンで技術者が岸にあったことがあるそうですが(彼の証言による)、実際岸のオーラは常人では考えらえないほどのものだったそうです(それだけスケールがでかかったそうです)。戦後、吉田・岸・田中とこの後自民勢力は中国に対し様々なスタンスで接していき、歴史が築かれています。それらの歴史に続いているのが岸信介(安保法に調印した)の孫である、現内閣総理大臣である安倍晋三(憲法解釈の変更を認めた)ですね。

このように朝鮮戦争はその実史における過酷さと隣り合わせのこの世界の部分、地政学的な意味合いと現在の国際政治ということを決定づけるものでもありました。そういう意味では、大戦後に構築された現代に連なる爆破寸前のラインでもあるわけです。それは日本の内外に厳しい現実をあてはめられる歴史でもあった。トランプ・安倍・中国グループそして韓国と北朝鮮、今この朝鮮半島が厳しい状況にあるのも歴史に我々が学ばなければならないことなのです。

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