特集記事:堂々たる学者がなぜ自らの間違いを間違いと認めないのか?

池田先生、法学が徒弟制度のもと、先輩の業績を受け継ぐ”だけ”っていうこと(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/52001111.html)はないですよ。確かにそういった形式の学者が多いのでしょうが、何度もいっているように法学にも「新領域法学」っていう分野がある(http://mjdkoisuru.review/2016/09/03/136)。池田先生はある種教養主義に批判的(?)なようですが、むしろ学部時代は理系人間に対する文系の勉強だって重要ですよ。技術倫理とかね。シンギュラリティの問題だって技術倫理の問題あってこそでしょ?科学技術が暴走する危険性あり、防波堤となる広範な教養主義がなければ危ないです。現にOリングの件とか建築学における著名な例(http://takumi296.hatenablog.com/entry/2014/03/26/044911)がありますよ。

例えば、流行ハヤリの意識の研究をするにあたっては心理学(反心理学主義者ファインマンですら自著で限定的に認めてます)の知識が必要になるし、精神分析の勉強も必要でしょう。シェックマンもCNS三大誌のこと商業主義っていって批判(http://retractionwatch.com/2013/12/11/cell-nature-science-boycott-what-was-randy-schekmans-tenure-at-pnas-like/)してるし、「もう投稿しない」とまでいっている。批判されるべきはむしろ理系のデータ解析のほうでしょう。私も医学部の教授と話したことあるけど、問題はそう単純ではない。もし単純であれば、優秀な研究者があれほど悩むこともないです。BMI(https://en.wikipedia.org/wiki/Brain%E2%80%93computer_interface)とかDBS(https://en.wikipedia.org/wiki/Deep_brain_stimulation)とか知らないんですかね?池田先生は。立花先生は教養学部のあり方についてしっかり持論お持ちですし、私も教授にDBSには反対派多いとのことで一蹴されたことありました。

統計学についてはp値について過信しすぎる傾向は批判されてきてる(http://y-mattu.hatenablog.com/entry/2016/03/09/034248)し、これが統計の仕掛ける罠なんですよ。医学論文の6割は再現性なしっていうデータ批判もある(https://www.amazon.co.jp/Signal-Noise-Many-Predictions-Fail-but/dp/0143125087)。東大のデータ解析のご都合主義も理系出身の方(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49764)でしょ?なぜ池田先生のような偉大なジェネラリストがこういった固定観念に縛られているのかよくわからん。池田先生のようなジェネラリストが上司とか上長にいたら尊敬されますよ。その分自分の間違いも認めるべきだと思いますよ。現に哲学においてクラインの壷モデルの批判を勘違いとされて山形先生は間違いを認め謝罪(http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/e0015.html)しています。

研究者は著述も含めて学徒なのだから、なぜ、自分の間違いを認めないのか私はまったくわかりません。自分の間違いや非を認めるのも重要なことでしょう。このご時勢だれもがマクロな情報媒体にアクセスできて、その反面フェイクメディアも十分ある。勘違いは誰にでもあるので、間違っていることは間違いと認め反省しましょうよ。それが未来の学問のありかたにつながることになるんだから。私は自分勝手な性格ですが池田先生のこと今でも尊敬してます。

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