サルでもわかるゲームレビュー:「Sword Art Online: Fatal Bullet」「CODE VEIN」にみるエンジンの固定化について

SAOといえば、日本の伝統的なラノベの典型例だと勝手に考えている。映画館でSAO映画版の宣伝広告映像があまりにも陳腐で俺的には興味はないちゅうても過言じゃない(もちろん、ファンのかたをせめる意味合いは皆無)。俺はLisaの音楽(やっぱ「シルシ」は名曲)から入った口だが、ラノベの典型例な気がしてSAOのゲーム版にしかあまり興味はない。ゲーム版として今年2月のリリースが決まっているのが、この「フェイタルバレット」だ。

ゲームはTPSものであって、日本のお家芸みたいなゲームであるという印象は受ける。PSOやゴッドイーター、そしてモンハン…。日本のゲームメーカの得意なところだけど、欧米のTPSはPUBGをはじめとしてイノベーティブの塊みたいな印象あるやし、なかなか国産のが世界的なタイトルになるというのは難しい気もする。そもそもTPSはFPSと違って複雑な視点エンジンを持ち込むことも可能であり、客観性をゲームにもたらすから作るのは実際簡単じゃない。師匠曰く「これやって意味あるゲームなの?」と言われちまう。GoWは言わずもがな世界でもっとも有力なTPSである。

こういうこと考えていくと、日本のゲームメーカのエンジンはコンセプチュアルな点で固定的な気がしてならない。それは確かに日本だけで固定化される価値観でなく、かのアサクリでさえ”同じだった”わけだ(オリジンズになってもいわゆる剣戟ゲーム性を盛り込んだに過ぎない)。たしかに、イノベーションをもたらしたのがフロムによるダクソシリーズであり、その後発である国産剣戟ゲームであったりするわけだけど、これ以上の伸びしろはない気がする。それは「CODE VEIN」でさえ同じだ。

欧米ではメトロイドヴァニアといっても独創性を盛り込んできた「Dandara」や「Iconoclasts」といったものがあるに限らず、アイソメトリックでも「Pillars of Eternity」(および続編の2)のようなアイデアもある。独立系開発会社でもダクソlikeだが、独特なデザインで魅了する「Momodora V」のような事案もある。むろん一概には言えないが、固定化や一般化をゲーム設計の中でしたのち、それを多様化させて拡張させていくという点で、日本のゲームメーカは欧米のそれらよりもかなり劣っているといわざるをえない気がする。

marikoi

ここの主筆・共同管理人。ぶっちゃけ狂人。

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