これならわかる国際政治:「ビスマルク体制」

こっちじゃなかったw

Bundesarchiv Bild 183-R68588, Otto von Bismarck

Not by speeches and votes of the majority, are the great questions of the time decided — that was the error of 1848 and 1849 — but by iron and blood.
1848年から1849年の間の経験によって我々が学べること、それはドイツが民主制によってでなく、「鉄と血」によってのみ舵とられるべきだということです。

ビスマルクは軍国主義者だと思っている方が多いと思います。彼は確かに有名な「鉄血演説」でドイツの軍事力を強めました。

ですがそれは、普仏戦争に勝利し国家を独立させるためでした。戦争後は王政の背後から国家をしっかりと操作して、ヨーロッパで平和体制を敷きましたので、「ビスマルクは軍国主義者ではない」というのが事実だと思います。ヨーロッパでは「イギリスの平和(パクス・ブリタニカ)」の後、長らく平和な時期がありませんでした。そんな中でビスマルクは「ビスマルク体制」という外交をうちたて、フランスをヨーロッパで孤立させることでこの地域に平和を培ったのです。それはけっして平和主義だとかそういうものでなく、ドイツのための外交手段でした。

その政治手腕は内政でも見て取れます。彼は有名な「飴と鞭」という政策をとり、社会主義者を弾圧する一方で国民に社会保障を全国レベルで導入。世界の社会保障制度の先駆けを実践したのです。これは今のキリスト教民主同盟党首のアンゲラ・メルケルの政治政策に始まり社会民主主義的な歴史的な政治政策にまで多大な影響を及ぼしており、卓越した政治手腕が外交・内政ともにビスマルクにはあったのです。事実、ビスマルク失脚後のドイツは外交・内政ともに王政独裁のような形で迷走していきます。ドイツは大戦を二度も経験して、独立を失うまでに至りました。

これはヒトラーの登場ともつながります。ドイツに過大な戦争責任を負わせる「ヴァイマール体制」によって点が線でつながれて、彼による第二次大戦とホロコーストに発展していくのです。幼稚な王政にすべてをゆだねてビスマルクの外交手腕を軽視したことが、ドイツ帝国唯一の汚点だったのです。あの「悪名高き」マルクス・エンゲルスといった共産主義者をはじめとして、ヒトラー当人もビスマルクの政治手腕にはある程度の賛美を送らざるを得なかったほど、と現代政治の世界では評されているそうです。