特集記事:とあるゲーム系YouTuberのオモテとウラ

今回の4亀の奥谷の記事はとてつもなく奥深いものがある。というのも奥谷の記事で問題はふたつに分けられるといって良い。

1・インフルエンサーとしての発言の内容

2・ステルスマーケティングの規制

このふたつが主な議題だ。前者は影響力屈指な彼なりの個人的な責任がある。差別発言の問題、これはこれでいいだろう。後者、ステマの問題が主たるものとして奥谷は言及している。そもそもではなにをもってしてステマというのか?なにをもってして正当な市場形成ルールに反しているのか?という定義をもちこむのは極めて難しい。果たしてどのように市場における責任を定義し、そのルールに反したものを罰するのだろうか?

例えば、日本では村上ファンドをはじめとして経営系の規制法(この例ではインサイダー取引規制)が適用されるのでは?という議題は、多くあがってきては消えている背景がある。さらに、経産省の官僚に対する批判を経済学者の池田などは述べていたが、果たしてインサイダーをはじめとして規制をどこで線引きをするのか?ということが問題だ。池田は資本主義の本質は「安く買って高く売ることだ」と述べる。個人投資家によるデイトレードや海外ファンドの買収劇についてはどこまでが許容され、どこまでが駄目なのかということが定義されにくい。早稲田の投資サークル事件などはいまや報道を通じて誰もが知っているほどだが、しかし、投資サークルの「見せ玉」手法などは株式・先物・オプションどれをとっても大手の投資会社がぶっちゃけていえば「やってるやつはやってる」。では規模の問題だろうか?サークルレベルでの問題だろうか?個人投資家のレベルで問題なのだろうか?

そもそも、法に反しているのを調査するのはこの場合たぶん経産省なりなんなりで、(主体は違えど…)国の会計上の不正を公開すべく会計検査院も国家に奉仕する公務員なのだろうが、彼ら自身が法に反していないという証拠はまったくない。経産省の調査員が民間なりなんなりの株をまったくもっていないはずはないし、それなりの「抜け穴」やなんらかの法に反しない個人的な市場介入がまったくないとは言い切れない。常識的に考えれば、独禁法を事実上管轄する公正取引委員会も実態は同じだろう。

報道によれば、会計検査院の国家公務員も天下りしている(http://www.asahi.com/articles/ASK1T4V3HK1TUTFK00G.html)(http://blogos.com/article/207239/)。もちろん、このこと自体が悪いわけでもなんでもなく、公明党の議員だった冬柴は、国家公務員の再就職の規制に関してはセンシティブな問題(http://www.mlit.go.jp/kaiken/kaiken07/070323.html)だとしていた。曰く「士気に影響する」と。上記URLからの引用によれば彼はこのように発言していた。

再就職に関する各省の斡旋等を禁止するということであれば、その代替措置である人材バンクについて、斡旋の規制とワンセットで、きちんと機能する制度設計を行う必要があります。すなわち、人材バンクについてどのように行われるのか、そこではどのくらいの人数の就職斡旋ができる能力を持つとみられるのか等々、非常に重要な問題だと思うのです。そうでなければ、現場で働く職員の不安を招いて、全体の士気にも影響することを、私は予てから心配しているところです。もし勧奨退職ということが行われないとするならば、毎年新規採用する500人を採れなくなります。採るということであれば、定員が膨らむということになります。したがいまして、そのような人事の問題、新規採用の定員枠、総人件費についても問題が生じてくるわけです。

このモデルを証明するように援用してみて例を挙げてみよう。それが独禁法の法律規制基準だ。これはアメリカでは提起されにくくて(市場機能の本来のあり方が合理的と判断するために独禁法がらみであっても規制対象内になりにくい国柄がある)、ゲイツもIEをWindowsにデフォルトで搭載したときに問題になったことで有名である(政治的判断でMSぐらいの大企業を分割するのはアメリカにとって不利だとされて見逃された経緯がある)。欧州ではMSの責任追求がいまだやまない。日本ではどうだろうか?今Wikipediaを見てみると非常に複雑な定義が為されていて、法律という文言で企業団体を縛るのが非常に難しいことなど個人的に確認してもよくわかる。

欧米ではドイツのメルケル首相がゲーム市場展などで登壇するなど主要産業や産業のコメとして有望視されている。ゲームはゲームだけじゃすまない現状があるわけだ。IT・民生・軍事とありとあらゆる分野に応用されるだけあって、我々ひとりひとりのゲームウォッチャーの見識や判断のバランスのあり方自体が時代の要請に応じて提起されているのだ。個人がネットを通じて飛躍的なマーケットを構成できるポテンシャルを秘めた個人至上主義の時代に現れたPewDiePieの事例はそれを如実に表している。

彼のステマを問題視することは、マーケットの健全性を考えることと同じであり、それほど市場は複雑怪奇な世界なのだ。